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6:15・起床。朝起きて外を見る。
 前日は荒れ模様の天気の中、車内で寝ながらイズミールに到着し、食事のあともすぐに寝たため、この町の景観についてほとんどわからなかった。
 この日は曇りがちだったものの、景色は遠くまで見渡すことができた。
 この日の出発地イズミールは236万人の人口を擁するトルコ3番目の大都市である。
 ホテルから外を眺めると、そこにはなかなかにモダンな市街が広がっている。
 
 
  朝食はいつもどおりのビュッフェ形式だったが、ハチミツが巣ごと(正確には養蜂箱の棚ごと)出されていたのには驚いたので、一応書いておく。巣ごと出される(出されるといっても、ビュッフェなので置いてあるものから欲しい量だけ切り取るのだが)と、巣を形作っている蜜蝋までもが必然的にくっついてくるので、これもなかなか食べにくい。 
 朝食後、ロビーから家に電話。留守番の父と話す。ちょうど大学の合格発表の時期で、友達からのうれしい知らせも聞けた。
 
 
 8:00・カヤ・プレステージ・ホテル発。
 エーゲ海を左手に見ながら北上。
 
 イズミールには軍港があり、軍艦も何隻か停泊している。
 前にも書いたかもしれないが、トルコには徴兵制があり、ジハンさんはイズミールで海軍軍人をしていた。
 海軍での主な任務は「船に乗ってこっそりギリシャへ行き、写真を撮ってくる」ことだったそうで、ギリシャ側も同じようなことをしているのだという。
 トルコとギリシャの仲が悪いのは知っていたが、不審船を繰り出しあうほどだとは知らなかった。
 
 海軍の話題ついでに東郷平八郎を知っているかどうかたずねてみたが、ジハンさん、どうも知らないらしい。
 トルコはロシアとも仲が悪いので、ロシアのバルチック艦隊を撃破した東郷提督は英雄扱いだと聞いたのだが・・・
 
 
 9:15・トルコ石店着。
 トルコといったらトルコ石、という人も結構多いのではないか。
 これまで絨毯、革製品ときて、次に立ち寄ったのはトルコ石をつかったジュエリーショップであった。
 
 ここも今までの例に漏れずに半分日本語圏であり、日本円も幅をきかせている。
 前の2つの店でもそうだったのだが、ここでもアップルティーのおもてなしを受ける。
 女性陣はやはり興味津々で店の中を眺めまわしているし、ジハンさんは店長さんとおぼしき男性とトルコ語で話しているので僕だけ取り残された感がある。
 とりあえず適当にウインドーを見てみるが、どの品もなんとなく安っぽい。
 
 すこし若めの店員さんに
 「お母サマや恋人サマにどうですカ?」
 とすすめられるが、あいにくお母サマは今この店にいるし、他に贈る相手もいないのが、また寂しいところではある。
 
 日本から来た3人の女性(特に、年齢順に上から2人)は値切りまくって店員さんを困らせているし、ジハンさんは相変わらず店長さんと話している。僕はどうすればいいのだ。
 そんなこんなで(どんなどんなか知らないが)ちょっとした買い物を済ませ、イズミルとトロイの真ん中ほどにあるベルガマという都市へ。
 
 
 10:15・ペルガモンのアクロポリス着。
 ベルガマ、かつてはペルガモンと呼ばれ、そのままペルガモン王国の都として繁栄した都市の名である。
 
 しかし、ポリスの遺跡にはよくあることだが、「現在のベルガマ」と「昔のペルガモン」は地理的に重なって存在しているというわけではない。
 つまり何が言いたいかというと、現在のベルガマが山間の平地にその中心を置いているのに対し、ペルガモンの都市遺跡(アクロポリス)はベルガマ近くの山中にあり、それによってかなりの量の遺跡が発掘・復元されているのだ。
 
 さて、アクロポリス遺跡だが、結論から言ってとてもすばらしかった。
 
 入り口にてバスを降り、ジハンさんを先頭に石畳の道を上っていく。もちろんこの道は、古代に敷設されたものだ。
 
  少し行くと、所々に残る城壁が見える。ジハンさんいわく、ペルガモンは3重の城壁を持つ堅牢な大都市であり、一番外側の城壁は山を越えて平地まで広がっていたらしい。 
 かつて都市だった場所にはオリーブの木が点々と生え、倒壊した遺跡のすき間には背の低い芝生が広がっている。
 かつ、ところどころに水たまりがのぞく。その荒涼とした様はゴーストタウンのようであり、聖地の荘厳さも併せ持つ。
 
 また少し行くと、この遺跡の目玉であるトラヤヌス神殿がある。
 神殿といっても土台と端の一列分の柱が残っているだけで、むしろ廃墟に近い。
 しかし、この「壊れ具合」がまた粋で、周りの殺風景とあいまって一つの絵画のような眺めだ。
 まさに壊れるために建てられたか、あるいは神々の手による芸術として破壊されたか、そんな雰囲気がある。
 柱の一部分はレプリカだったが、それにしてもあまりに「絵になる」神殿だったので、現在このトラヤヌス神殿の写真は加工され、僕のPCの壁紙として利用されている。
 
 
  そのあと、オリエント時代の劇場を少し見学。 山の斜面を座席として利用しているため、かなりの急勾配。
 ここでK母が僕に、「(かなり急だから)歩けなくなったら背負ってね。」無理だ。
 
 最後に、この遺跡で最もすばらしい逸品であるはずのゼウス大祭壇跡へ。
 ヘレニズムが生んだ大芸術といわれる彫刻、激しく戦う神々と巨人たち。
 本来ならばここペルガモン最高の遺跡となるべきゼウス大祭壇だが、残念ながらドイツの発掘隊によって持ち去られてしまった。
 現在はベルリンに本体があり、ペルガモンに残るのはその土台の一部だけである。
 
 ジハンさんの説明を受けながらざっと歩いたあと、11:00ごろに出発。
 
 
 11:10ごろ・アスクレピオンへ。
 アクロポリスをあとにして、古代の高級病院であるアスクレピオンへ向かう。
 
 アクロポリスからアスクレピオンへ向かう道沿いにはトルコ陸軍の演習場、軍事施設などがあり、ひっきりなしに銃声が鳴り響いている。
 軍事にかかわる建物などがあるため、みだりに写真を撮ってはいけないと釘を刺されるが、やはり珍しい風景なので撮ってみたくもある。
 
 
 11:20・アスクレピオン着。
 アスクレピオンに到着してもなお、遠くのほうで銃声が鳴り続けている。
 
 
  ここアスクレピオンには、再生の象徴であるヘビのレリーフ付き石柱、医学書を所蔵した図書館、娯楽用の劇場、それから心理療法に使われたらしい地下道などがあったが、先ほどのアクロポリスのトラヤヌス神殿がすばらしすぎて、どうも色あせて見える。 
 
  しかしここは低地ということもあるからだろうか、岩の転がるアクロポリスにくらべて緑が多く、ああなるほどこれもヒーリング効果の一種かな。なんて思ったりした。カタツムリもいたし。 
 ちなみに古代において最先端の医療技術を有したであろうアスクレピオンだが、それだけに入院審査も厳しく、金と治る見込みがなければ入院はお断りだったそうだ。
 また、ここでは一般的な治療に加え、ひっそりとした地下道で水の音を聞くといった精神療法、劇場で音楽を楽しむといった音楽療法なども行われていたらしい。
 
 
  そういえば一緒にツアーに参加しているK親子も医者の一家だ。石づくりの建物の跡しかない病院を見て、現代の医療に接して生きている人たちはどう思ったのだろうか。 それでもトラヤヌス神殿のことが頭から離れないまま、12:00ごろに昼食へ。
 
 
 12:05・レストラン着。
 この日の昼食は、ガイドブックにも載っており、日本人ツアー客もよく利用するらしい「Saglam」という中級レストラン。
 
 形式は半バイキングといった感じで、カウンターの親父に欲しい料理(10種くらい)を指で示せば、それを盛ってもらえる。
 この10種の料理が、太キュウリ(?)の肉詰め以外ほとんど赤系統の色で、しかもカウンターの無愛想な親父がベッチャベッチャと適当によそうため、皿の上は赤オレンジ赤オレンジの混沌と化すのであった。
 
 しかし、前述した太キュウリの肉詰めをはじめ、柔らかく煮た羊肉、ピラフのような米料理など、かなりの美味で、親父が無愛想だからといってなかなか侮れない。
 おいしかったのでおかわりもして、1:00ごろに出発。
 
 次の目的地は、トロイ。
 
 
 14:15・トイレ休憩。
 また1時間ほど車内で寝ていたら、いつのまにかサービスステーション。
 そんなにたいしたサービスステーションでもないのに、「トロイ」という看板を掲げている。
 トイレ休憩によるだけの場所に伝説の古代都市の名を冠するなんて、シュリーマン(トロイ伝説に憧れ、発掘したドイツの考古学者)が怒るぞ。
 
 で、ここにも猫がいる。むこうのサービスステーションには半野良猫か半野良犬か、少なくともどちらかが居ついている。動物好きの僕にとっては休憩のたびに遊び相手がいてうれしいのだが、これが日本だとクレームがつくにちがいない。
 
 15分の休憩のあと、再び出発。
 
 
 16:15・トロイ着。
 トロイ、トロヤ、トルコ語ではトゥルワ(Truva)。ブラピ主演のB級映画でおなじみの古代都市である。
 
 エーゲ海から黒海方面へぬけるためには、まずこの都市の手前を通らなければならない。
 古代から貴重な通商ルートであったエーゲから黒海への海の道−すなわちボスポラス・ダーダネルス海峡−に面している都市で一番有名なのは言うまでもなくトルコの首都、イスタンブールだ。しかし、地中海からそのイスタンブールに至るには、まずトロイを通過しなければならない。
 
 このような地の利を活かした繁栄と、富を狙う他の国家からの侵略・破壊が繰り返された。そのため、現在のトロイ遺跡は大きく分けて9つの都市が複雑に重なり合ってできている。
 
 ここまでが前知識。
 
 で、実際のトロイはどうだったかというと、「都市遺跡」というよりは「城跡」だなこりゃ。もっと簡潔に言えば、大きく期待はずれであった。
 
 前述の「都市遺跡」と「城跡」の違いは何かというと、「都市遺跡」というのが都市の遺跡、すなわち神々を祭る神殿、道路沿いの民家跡など、「人々の暮らしの跡」を残しているのに対し、このトロイの「城跡」は、ただただ地面から積み上げられた石やレンガによって形成されているという点にある。
 
 ここで重要なのは「積み上げられた」というところで、たとえばトロイの「城跡」にあるのは石壁であり、岩で舗装された道であり、要塞の基盤である。人間が日常的に使うような「タテモノ」があまり無いのだ。
 
 
  トロイの名誉のために言っておくと、建物が無いのはトロイが非文明的だったからではなく、ボロボロになって土中に埋もれていた都市が近代になって発掘されたからである。 また、小規模ながら祭壇や議事堂の遺跡も存在している。
 
 そして中の様子だが、まず、入り口付近に観光目的の木馬さんが立っている。
 トロイの木馬といえば内部にスパイを忍び込ませ、敵陣に進入させるために作られたものだが、この木馬の背には小屋がついており、人間が入っていますといわんばかり。
 伝説の木馬の考案者、智将オデュッセウスが見たら泣くだろうな。
 
 そして遺跡へ。大体どこも同じように石が積んである。要塞のベーシスなのだそうだ。
 世界遺産だし、これでも観光名所だからだろう、ジハンさんも勝手知ったるといった足取りだ。
 どの石の山もあまり変わらないのに「ここは第6層です」とか「ここから向こうは第4層です」とガイドも順調だ。
 
 
  城壁のかなり向こうに、かつてトロイが覇を唱えたエーゲ海が見える。 トロイ戦争でアキレスやオデュッセウスをはじめとするギリシャ軍が陣を敷いたのはそのあたりだそうだ。
 
 途中1箇所だけ雨よけの鉄骨ドームで覆われている遺跡がある。しかも他の石壁が灰色をしているのに、ここだけ赤茶けている。
 ジハンさんによると、これこそ9層あるトロイ遺跡の中でも最古の層に属す第1層の遺跡なのだという。
 色が赤茶色いのは、ここのみ日干し煉瓦で造られているからで、この日干し煉瓦の集合体は地下に埋まっていた要塞の土台らしい。雨よけがしてあるのも、水に弱い日干し煉瓦が雨で崩壊してしまうのを防ぐためなのだ。
 
 その他にも宮殿の門の跡や議事堂跡、いくつかの城壁などがあったが、結局どれも同じようにしか見えなかった。
 
 あとは入り口で見た木馬のレプリカ(?)だが、階段から腹の中へ入れるようになっていたので入ってみた。
 狭く、暗く、落書きだらけで汚いだけで、別になんということもない。
 
 トロイに関してあまりいいことを書いてこなかったので、ここでジハンさんから聞いた追加情報。
 これは、トロイを再発見した考古学者シュリーマンが、遺跡発掘中に起こった出来事である。
 
 
  ある日彼は現地の日雇い労働者たちといつもどおりに発掘作業を進めていた。 ところが、土中から『何か』を発見したシュリーマン、発掘アルバイトたちに日当をいつもより大目に支払った上、突然暇を出したのだという。
 アルバイトたちが去り、その場に残ったシュリーマンは一体何を発見したのか。
 それは海洋帝国トロイの秘宝だったのかもしれない。
 
 いずれにせよそのような文化財を(おそらく)国外へ持ち出されたことに対し、トルコ人のジハンさんは腹を立てていたようである。
 
 結局トロイにいい話は無かった。
 
 17:00ごろトロイ発。
 
 
 17:10・ツサン・ホテル着。
 この日はトロイ近郊のチャナッカレという村に宿泊。
 ホテルのすぐ裏手がエーゲ海ということもあって、リゾート地のコテージ風。
 
 ホテルに入るとどこからともなくピィピィと鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 見渡してわかったのだが、ロビーの隣の部屋に鳥かごがいくつも置いてあり、きれいな羽の小鳥たちがさえずっているのだった。
 
 すこし天気が悪かったが、部屋に荷物を置いてエーゲ海の砂浜へ向かう。
 
   曇天ということもあっただろうが、ここの砂浜はリゾート地にしてはあまり美しくはなかった。
 だが、浜辺に打ち上げられた貝殻や小石など、バラエティーに富んでいてきれいだったので、かなりの時間拾い集める。
 
 一枚貝、二枚貝、巻貝、色もピンクから緑まで。これこそまさにエーゲ貝。はいはい。
 
 1時間弱ほど海岸で遊んだだろうか、そろそろ飽きたので部屋に戻ることにする。
 そのついでにロビーでお土産のトロイの木馬(さっき入ったやつ)の置物を20個ほど買う。
 
 
 18:30・夕食。
 本日のディナーは、前菜にサラダと麺入りスープ、メインはライスと香草のピーマン包み焼き、野菜パイ、そして鳥インフルエンザを無視してウズラ焼きを注文してみた。
 
 包み焼きと野菜パイは香りもよく、エーゲ海近くでとれたオリーブの風味もきいて、文句なしの味だった。
 
 問題はウズラである。
 鳥インフルエンザ問題はどうでもいいとして、小型の野鳥は食べるところが少ない。そのくせ骨も多くて食べにくい。
 
 というかこのウズラはどこで捕ってきたのだろうか。もしかして、さっきロビーの隣の部屋でピーチクやっていたやつか。
 実はインコだったりして。やだなあ。
 
   食後、部屋のテレビでNHKを見る。電波状態が悪いのか、ときどきコマが飛ぶ。
 で、次の日は一気にイスタンブールまで移動するため、この日は早めに就寝。
 
 
 
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