3月10日 カッパドキア〜パムッカレ


6:00・モーニングコール。
この日は720キロもの長距離を移動しなければならないため、いつもより早めに起きる。
てきとうに朝食をとって7:30に出発。

車ですこし行くと、カッパドキアの岩の群れの上を気球が飛んでいる。空からの展望を楽しもう、ということで最近増えてきている「気球ツアー」らしい。

市街地へ入ってすぐ、道路上の段差を通ったときに「バキン!」とすごい音がする。
そのときは、その段差(うまく説明できないが、金属製の半筒形のもの)が車の重みで鳴ったのだろうと思ったが、これが後に容易ならぬ事態を招くことになるとは、誰も知らない。


7:50ごろ・洞窟ホテル着。
ツアーのオプションで洞窟ホテルに泊まっているK親子と合流。
風呂のお湯が出なかったのが一番困った、特にすごいホテルというわけではなかった、と言っていたので、まあその通りなのだろう。

6人で出発して10分も経たないうちに、車の調子が悪くなる。さっきの異音は車の部品が破損した音だったのだ! とりあえず、みんなで困ってみる。


謎の家 8:15ごろ・名も無き村。
何度も書くが、この日は720キロを車で移動する。いくらベンツでも(このときの車はベンツだった)、壊れた車体でこの長距離を踏破するのは危険だ。
そういうわけで、僕たちは近くの村で降ろされ、車を修理しているあいだそのあたりを見てまわることになった。 ジハンさんが「30分で直る」と言ったので、その間暇をつぶそうというわけだ。
30分後に集合する場所を決めたあと、解散。

出発早々のトラブルだったので、僕たちはまだカッパドキアにいて、この寒村の近くにも奇岩・洞窟の類が多い。 そういうものは見飽きたので、そこらの町中を歩くと、まず目につくのがモスク。それに併設された尖塔、それから近くには「ハマム」と呼ばれるトルコ風の風呂がサウナの湯気を出している。
ハマム(風呂) あとは、スーパーマーケットなどがあったが、これらはすべて町の中心部と思われる場所にあり、細い道を少し行くと、人影もほとんどない。

古びた屋敷、半壊した家屋、ベランダにつるされた濃い紫のスカーフなど、およそ普通の観光旅行ではお目にかかれないトルコの一面がそこにある。
町の中心から離れた場所には、破損の激しい石づくりの家がかなりあったが、その家の主だった人々はどこへ行ったのだろうか。

ぶらぶら歩くこと約30分、そろそろ車も直っただろうということで集合場所へ。
しかし、ジハンさんが携帯で連絡を受けたことには、車体の壊れ具合は思った以上に深刻で、完治にはもう30分ほどかかるということであった。


9:00・名も無き村、郊外。
車が直るまでにはまだ時間もあるし、田舎の村も見飽きてきたので村のはずれにあるワインショップへ。

田舎のタクシーなのか、そこらのオジサンにチップを払ったのかは知らないが、とりあえず乗用車でそこへ向かう。

トルコは地中海沿岸地域なのでブドウやオリーブの生産量が多く、ここ、カッパドキア地方も「Turasan」というワインが有名なのだ。

お店の中にはワイン以外にも干しブドウなどのドライフルーツが売られており、試食品をつまんだりして時間をつぶす。
家で留守番をしている父へのお土産に赤ワインを2本買ったが、帰国後飲んでみてあまり美味しいと思わなかったのだろう、うち1本は別の人への土産物として回されることになった。


9:35・車、いまだ直らず。
先ほど、「もう30分あれば直る」と言ったはずだった。
いまだ直らない。
ジハンさんへ向けられる視線も温度を下げていく。

ゼルヴェ 「じゃあ、行かない(予定だった)場所、行きましょうか。」と、ジハンさん。
この近くにはまだ訪れていない有名な野外奇岩博物館があるから、そこへ行こうということらしい。もちろん費用は旅行社負担である。

向かった先はゼルヴェ野外博物館。さっきの身元不明の車で直行。
昨日見てきた奇岩は2つの地層が削られてできた「キノコ型」のものが多かったのに対し、ゼルヴェのそれは単一の地層が形を変えた「トンガリ型」という感じ。

この場所は3、40年前、岩に掘った穴にかなりの人が住む集落だったらしい。現在でも蜂の巣のように多くの出入り口が岩肌に開いているが、岩盤の風化によって住むには危険な場所となり、政府の命令によって人々が移住したらしい。
実際、ここでは崩れかけの岩がたくさんあり、そのうちいくつかは大きな衝撃があれば転げ落ちそうで、怖い。

が、見晴らしは良く、近くの盆地が一望できる。
「そして、あそこに」、とジハンさんが遠くの集落を指さして言うには、「あの場所にここの人が移住したんです」。
20世紀になってまでこんな洞穴に人が住んでいたなんて、なかなか想像もつかない。
この場所で一番「文明的」と呼べる建物は、小さなモスクだった、ような気がする。

ゼルヴェのモスク
10:20ごろ・ゼルヴェ野外博物館出発。
結局、破損した部品は直らなかったようで、新しい車と運転手さんがゼルヴェの外まで迎えに来てくれた。

今までの(といっても、短い付き合いだったが)車はベンツ、今度の車はフォルクスワーゲン。座席が前のよりゆったりとしたつくりになっていて、すわり心地が良い。
ゼルヴェでは、結構坂に上ったり下りたりしたのでこれはありがたかった。

とりあえず出発。カッパドキアを出て西へ向かう。
目的地は、アナトリアの学芸の中心、コンヤ。


11:45・キャラバンサライ着。
カッパドキアを出てシルクロードを南西へ向かったところに、かつての「隊商宿」=「キャラバンサライ」があった。

中央アジアから現在のトルコまで進出してきたばかりの「田舎者」王朝であるセルジューク朝の遺跡なので、角張った、ほとんど飾り気の無い建物だ。
隊商「宿」といってもその建築コンセプトはあくまで野党から商人を守る「要塞」。分厚い壁の中に、寝室や台所、礼拝所、荷物置き場など、商人が泊まるのに必要最低限な設備が備えられているだけで、そうたいしたことはない。

ラクダ厩舎 入って奥へ行くと、やはりここも壁で覆われた、柱の多い部屋がある。採光設備があまり無いので中は暗めだが、このキャラバンサライの中では一番広い。
まるでバジリカ様式の教会みたいなこの建物、実はラクダの厩舎なのだ。
ラクダは商人自身が乗ったり、荷物を運んだりといろいろな用途に使われたので頭数も多かったのだろう、最大の面積が割かれているわけだ。

あまり見るべき箇所も無く、昼食を予約してあるレストランへと向かう。
キャラバンサライを出たところに、「スルタン・レストラン」という店がある。名前は仰々しいが、ショボい。

車の故障でスケジュールが狂っているので、昼は結構遠い。12:20発。


13:35・レストラン着。
石づくりの、古い、角張ったレストランに着く。実は、ここも元キャラバンサライ。
レストラン内部はかなり広く、天井から無骨な黒金のシャンデリアがつるしてある。
広い、で気づく鋭い人もいるだろうが、このレストラン、隊商宿の「ラクダ厩舎」を使いまわしている。

キャラバンサライ・レストラン メニューは、レンズ豆のスープ、トルコ風ピザ、パエリア(スペイン料理)のようなケバブ。

1000年も前にはラクダが草を食んでいた場所だが、現代出される料理はなかなか美味しい。
スープは素材の味を生かしたあっさり系、ピザはパリパリとした食感がグッドだし、ケバブも羊肉のうまみを活かしていてあまり臭くなく、一人でかなりの量を食べた。
デザートにはパンに塗るチョコレートペーストのような半液体がカップに入って出てきた。
トルコのデザートの例に漏れず、かなり甘い。

僕以外の女性三人は、せっかくトルコまで来たというのに、食生活が健康や精神に及ぼす影響について熱心に語っている。ほかに話すことは無いのだろうか。

そんなこともあって14:30発。


14:45・カラタイ博物館(陶器博物館)着。
720キロの旅程のうち、最初の目的地であるコンヤに到着。
まずは陶器博物館へ。白い壁に青みがかった屋根の清純派建築物といったところか。
もともとこの建物は神学校で、設立に携わったセルジューク朝の宰相カラタイにちなんで「カラタイ博物館」と呼ばれている。

カラタイ博物館 先ほどキャラバンサライのときにセルジューク朝は「田舎王朝」だと書いた。
しかし、この元神学校はかなり優雅な造りである。これもコンヤが古都かつ神学の中心地であったことや、この建物の建設当時、セルジューク朝の文化水準もかなり上がっていたことによるのだろう。

内部もまた優美で、天井のドームには透き通った青いタイル、その下、部屋の中央には泉もある。(現在、水は無いが)

もちろん「陶器博物館」というだけあって、陶磁器類も展示されている。
陶磁器 和製といってもおかしくないような皿から、玉虫色の盆、ペルシャ風の壷など、点数こそ少ないが一つ一つが鮮やかなうちにすっきりとした美しさを持っている。
展示室の奥のほうにはセルジューク朝時代のタイルがあり、高家の人々の日常が描かれている。
「この人、中国人や日本人に似てるでしょう。昔トルコ人は東アジアとつながってたんですよ。」とジハンさんが言う。

一番奥にはカラタイ先生のお墓がある。長方形を横に倒した形で、頭がメッカのほうを向くように埋葬されており、頭がある場所の上にターバンが乗っている。

そうやって見学していると地元の子供が3人ほど入ってきて、母が写真を撮る。
カメラが珍しいのか、日本人が珍しいのか、きっちりポーズまで決めてレンズに収まってくれた。

15:00に見学を終了し、コンヤ第一の聖地かつ観光地であるメヴラーナ博物館へ。
コンヤの町の中心部には「アラアッディンの丘」という申し訳程度の丘があり、そこの公園でたくさんの人がのんびりしている。幸せな風景である。


15:10・メヴラーナ博物館着。
メヴラーナ博物館 神秘主義というものがある。「神との個人的かつ内的交感を探求する態度」のことらしい。
ここメヴラーナ博物館も、イスラム教における神秘主義の一派であるメヴレヴィー教団の始祖、メヴラーナの霊廟として建設された場所であり、現在は博物館として公開されている。

メヴレヴィー教団というのは回転しながら踊ることによって神との交感を体感しようとする人々の集まりで、愛知万博のトルコ館でも似たような踊りの映像が流れていた。

もともと教団の総本山であったこの場所だが、近代トルコ共和国の設立者、ケマル・アタテュルクによって教団は解体され、建物自体も宗教的には中立な「博物館」(Musei)と呼ばれている。
アタテュルクによってその宗教性を失った建築物は何もここだけではなく、のちに訪れることになるイスタンブールのカーリエ博物館、アヤソフィア博物館などもそうで、ここにイスラム教国としては珍しい政教分離政策の跡を見ることができる。

とはいえ、イスラム教徒が国民のほとんどを占めるトルコにおいてこの場所は今も聖地扱いであり、外の壁に向かって祈っている人もいるほどだ。
しかもこの博物館は土足厳禁で、入場するには靴の上からビニール袋をはかなければならない。靴を脱いで靴下で入れば楽だと思うのだが、それもイスラムの信条に反するのだろうか。

入ってすぐ、右手を見るとオスマン・トルコ皇帝の花押がある。花押といっても豪華な金属活字のようなもので、きちんと額縁に収められている。

次の部屋は屋内墓地といった感じの場所で、カラタイ博物館にあったような、頭をメッカの方角に向け、その頭の上にターバンがのっているという変わったお墓がたくさんある。
黄金の壁 一番奥に本尊(?)メヴラーナのお墓とおぼしきものがあり、その場所の近くだけ金色の壁になっていてこれまた美しい。

左へ曲がると聖遺物、聖書などの展示場となっており、ムハンマドのアゴヒゲが入っているらしいキンピカの容器、アラビア文字がびっしりと書かれた米粒、金箔を大量に使って装飾してあるコーランなど、神聖かつゴージャスな品々のオンパレードだ。
コーラン 天井のドームには主にオレンジ色を使った幾何学模様が描かれており、カラタイ博物館のドームより少々ケバいが、エキゾチックで躍動的な印象を受けた。

ドームの唐草模様 向かいの建物では、リアルな人形で教団隆盛期の様子を再現している。ヒゲもじゃの親父がいっぱい。旋舞でエクスタシー状態に入っている人形もいる。
一緒に記念撮影。

スーフィズム人形 15:50に出発。博物館の敷地を出るとき、物売りのおじさんに「サムライ、チョットマッテ」と呼び止められた。 この手の呼び止め方はちょっと珍しい。

ここから、夜の宿までずっと移動。


17:40・15分間トイレ休憩。
アップルティーを飲む。
かなり暗くなってくる。そのため、北斗七星がよく見えるが、そんな暗い道を90キロでつっ走るのはどうなんだ。
そういえば北斗七星は数万年後には形が変わって「ひしゃく」ではなくなってしまうらしい。さびしい限りである。


20:00・また休憩。
長い長い移動は続く。ホテルまであと120キロ。

このあたりの名物らしい「はちみつヨーグルト」が出る。まんまヨーグルトにハチミツをかけた一品で、初日にセントレアで食べた「厚切りトースト+はちみつバター」が思い出された。

次の日にこのあたりの村でコンサートがあるらしく、サービスエリアの一室から民族音楽が流れてくる。ヴォーカルもいて、歌が魔術のようである。


21:40・パムッカレのルーカスリバーホテル着。
サービスエリアから平均時速80キロで1時間半走ってきたことになるだろうか。
22:00ごろからホテルの残り物で夕食。車が壊れて到着が遅れたので仕方が無い。
デザートのリンゴはかなり変色していて木の彫り物のようだったが、なんとか食べた。

ホテルの残り物 パムッカレは温泉で有名で、このホテルにも温泉やプールがあるらしく、かなり塩素の臭いがたちこめていた。

部屋のテレビでは海外向けNHKや『ランボー・怒りのアフガン』も視聴できたが、移動疲れがあったので適当に入浴後、寝る。





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