3月9日 アンカラ〜カッパドキア


6:30・モーニングコール。
外を見てみると、雪が降ったのだろう、窓から見た景色がうっすらと白い。
昨日は夜だから気づかなかったのか、アンカラの建物はピンクや黄緑といった淡い色で塗られているものがちょこちょこあり、不思議だが優しみのある風景をかたちづくっている。


7:00・朝食。
エキメッキ(フランスパンに似たトルコのパン)、ゆで卵、トマトサラダ、あんず、ブルーベリーヨーグルト、アイラン(甘くない飲むヨーグルト)、チャイ(紅茶)。

鳥インフルエンザが騒がれているトルコで、ゆで卵なんか食べている。好物なのである。
アイランは肉料理と一緒によく飲まれるヨーグルト飲料で、ヨーグルトを水で薄め、塩を加えて作られる。
作り方だけ読むと「水かけごはん」なみにまずそうだが、すっきりしていて意外といける。
チャイは日本の紅茶とほとんど変わらないが、トルコ人は1日10杯以上飲むらしい。
ガイドのジハンさんにいたっては20杯飲むと豪語していた。


8:00ごろ・アンカラ発。カッパドキアへ。
昨日と運転手さん、車が変わって今日はベンツ。ドイツ車の人気が高いようだ。

ホテルから出発し、官庁街をぬけて郊外へ。官庁街には軍隊の建物が多く、兵隊の姿もあちこちで見かける。
モスク(イスラム教の寺院)も多く、かなりの数のミナレット(モスク付属の塔)が市街から突き出ている。

アンカラ郊外 アンカラ市内はかなり渋滞していたが、町の外へ出ると車もめっきり減ってスピードも上がる。一般道のような場所でも90キロまで出していいというのだから驚き。(高速の上限は120キロ)
まわりは雪で真っ白だ。


8:30ごろ・警察に足止めをくらう。
どうも道路の右端(トルコは右側通行)にパトカーがいるみたいだ、と思っていたらその近くに停車。警察と何か話しだす。
雰囲気があまりよくないのでスピード違反かと思ったが、免許を提示しただけだとジハンさんが言っていた。


チャイ 9:20・サービスエリア着。
トイレ休憩後、チャイを飲む。前述したように、かわいらしいグラスに入って出されるチャイはインドで飲まれているようなミルクティーではなく、日本の紅茶とあまりかわらない。
このサービスエリアでは他のツアーの日本人が多く、土産物を物色している。犬がいる。


10:00ごろ・トゥズ湖着。
トルコで2番目に大きな湖、トゥズ湖畔に停車。「トゥズ」というのは「塩」という意味で、もちろん塩湖である。

湖の近くに1件の土産物屋があることから、ここが一応観光スポットであることがわかる。
「一応」とか「わかる」と書いたのには理由がある。冬で天気がよくないこともあるが、この湖の景観がとても殺風景なのだ。
空は一面灰色の雲におおわれていて、雲の色をすこし濃くしたような湖面が眼前に広がる。岸は、湿った鼠色の砂で、ところどころに水たまりができている。
湿り気の少ない場所は、黄土色の枯れ草におおわれている。そして、わずかに潮のにおいがする。

おもしろくもなんともない景色なので、土産屋の猫と遊ぶ。人なつっこいヤツで、すぐひざに乗ってくる。足の裏が泥まみれだったのでズボンが汚れてしまったが。

10分ほどで出発。道路沿いに「トゥズ」の看板を出した製塩工場がいくつもある。
右には塩湖が、左には山が連なる。ときどき、遠くに、はるか昔に見捨てられた遺跡のようなものが見える。
トゥズ湖
とにかく墓場のような湖だ。


11:15・アクサライ近郊。
「カッパドキアの入り口」と呼ばれる町、アクサライを通る。ここで通った道は現在舗装されているが、中世「シルクロード」と呼ばれた道だ。
シルクロードを東へと進むと、ときどき道路沿いに羊飼いが見える。民族衣装を着、犬をひきつれている彼らの姿を時速90キロで走るベンツの中から見るのはいささか変な気分。

カイマクルの猫
12:15・カイマクル着。
カイマクル着。ここで地下都市を見学する。「都市」といっても人間が常にそこに住んでいたわけではなく、敵襲があるときの避難所のように使われていたらしい。
とはいえ中はかなり広く、数千人を収容できるスペースがある。また、洞窟のような自然の産物ではなく、人間が火山岩を掘りぬいて作った人工的な空間だ。

中は照明があるのでそれほど暗くはないが、天井が低く通路はさらに狭い。壁や床は火山灰でできているのだろう、乾燥していてすべる心配はない。
運がいいことに、このときカイマクルを見学していたのは僕たちのツアー5人だけだったのでゆっくり見学する。
カイマクル地下都市
ジハンさんによればここの気温は年中一定で、確かに「地下」は寒そうなイメージだが、むしろいまだ春の訪れていない外より暖かいぐらい。

内部には教会をはじめキッチンや墓地、リビングルーム、にワイナリー、底の見えないほど深い空気穴、敵を迎撃するための隘路などがあり、ここまで掘りまくった古代人の根性には驚かされた。地下5階まであり、かつ他の地下都市ともつながっているというのだから尋常ではない。

13:00ごろまで見学してから昼食へ。道路の近くに奇岩が見えはじめる。


13:20・昼食。
ジハンさんが「洞窟レストラン」と言っていた場所で昼食。このレストランは近代になってからカッパドキアのやわらかい地層をくりぬいて作ったのだろう。
入り口からすこし進むとホールのような部屋に出て、その部屋の壁にそっていくつもの小部屋が作られている。歯車を上から見た図を想像してもらえばわかりやすい。

洞窟レストラン どちらを見ても東アジア人(日本人・韓国人)が多い。よく見たわけではないが8割はこえていたと思う。

昼食メニューは野菜スープ、ナスのトマトはさみ焼き、つぼ焼きケバブ、バクラワ(デザート)、チャイ2杯。

ナス料理はひんやり、あっさりしていて食べやすい。つぼ焼きケバブとは、つぼの中に羊肉や野菜を入れて焼いたもので、まだ赤みの残る羊肉がやわらかくて味もいい。デザートのバクラワはパイ生地を砂糖のシロップにつけたような料理で、とても甘い。僕以外の3人(ジハンさんは別の部屋)は濃くて苦いトルココーヒーといっしょに食べていた。


14:20ごろ・昼食終了。
すこし時間があったので、洞窟レストランの近くにある陶器屋を見る。店先にカラフルなつぼが積まれている。かなりずさんな積み方なので、外から衝撃が加わったら崩れてしまいそうだ。

陶器屋 準備のできたジハンさんに「(僕を)置いてきましょう。」と言われたので急いでバスに戻る。
そのあと、カッパドキアの奇岩めぐりに出発。


14:40・「ラクダ岩」着。
カッパドキアの有名な奇岩のひとつ、ラクダ岩の近くへ来る。あまりにも辺りが荒涼としているのでラクダというよりむしろ何か不吉で邪悪な巨岩に見える。
ラクダ岩 そのむこうには「聖母マリアの岩」が、道路を挟んで反対側には「ナポレオンの帽子」と呼ばれる岩が、それぞれ名前とよく似た形で立っている。
5分ほど見学してから出発。


14:50・パシャバー地区着。
日本人が「シメジの岩の谷」と呼ぶパシャバー地区を見学。シメジのように途中で枝分かれしていて頭部の色が濃い岩がたくさんそびえている。やはりここもシーズンオフで人影が少ない。

奥のほうに昔の教会があるということなので行ってみるが、教会といっても高い岩の中をくりぬいたものなので見ただけでは分からない。

シメジ岩 すこし進むと、土産物屋の主人とおぼしき人が「ココ、ノボレル。」と近くの岩を指さす。
確かにその岩には入り口とそれに続く階段が見えるので進入する。
せまい階段を2メートルほど上ると、その先は地面と垂直な高さ3メートル、直径1メートルほどの管になっている。この管の中にはいくつかのくぼみがあり、そこに手をかけ足をかけしてハシゴのようによじ登っていくのだが、これがなかなか怖い。

やっとのことで自分ひとり教会跡の中へ入ることに成功し、写真を撮る。内部には十字架らしき浮き彫りがあるだけで他は灰色無装飾の質素で狭い場所だ。3分で降りるが、もちろん降りるのも怖い。
やっとのことで地上に生還し、バスへ帰ろうとしたとき、デジカメのケースをさっきの教会に忘れてきたことに気づく。
仕方なく地獄の細道をはい上がり、また降りて戻る。

15:10ごろ次の目的地、ギョレメ野外博物館目指して出発。そこにも修道士たちが暮らした教会があるらしい。


15:20・ギョレメ野外博物館着。
2匹の犬が戯れている受付の横でジハンさんから券をもらって入場。
トルコの入場改札はどこでもほとんど同じ機械で、入場券を差し込むと「Please pass.」という英語(女声)が流れて入れるようになるのだが、この声がイヤに陰鬱で低速で、なにかしらの呪詛の言の葉を聞かされているような気分になる。

ギョレメ野外博物館 まあ、そんなことはさておき、野外博物館へ入ってすぐ僕たちの目をとらえたのは地上5階ぶんはゆうにあろうかと思われる巨大な岩をくりぬいた住居だ。その左手には尖った岩が林立するゼルヴェ渓谷が深く長く、単調な色づかいで広がり、いかにも修道士隠棲の地という感じがする。

まず行ったのは「リンゴの教会」。以前入り口にリンゴの木があったことからこの名がついたそうだ。
内部は初期キリスト教のフレスコ画で覆われていて、ところどころフレスコのはげ落ちた場所からは赤の単色で書かれた十字がのぞいている。おそらくフレスコが書かれる以前、偶像を徹底的に禁止していた時代のものだろう。
修道士たちの食卓などを見たあと、次に向かったのは「ヘビの教会」。聖ゲオルギウス(ジョージ)がヘビ(ドラゴン)を退治しているフレスコ画が名前の由来だ。
「リンゴの教会」が色々な模様や文字などで装飾されているのに対し、こちらの教会は人物の絵が主で、それもかなり色あせているため質素なイメージ。

暗闇の教会 最後は「暗闇の教会」。名前の由来は分からない。
入場料が別料金だけあって保存状態もよく、他のふたつにくらべて色鮮やかで、まるで最近描かれたようだ。

これで一応野外博物館の中は見たので16:25、出発。


神秘の谷(ギョレメ・パノラマ) 16:30・神秘の谷着。
神秘の谷、あるいはギョレメ・パノラマと呼ばれるこの場所は、ジハンさんいわく「カッパドキアで一番の景色」らしい。

数え切れないほどの尖った岩、これから侵食や風化で奇岩へと姿を変えていく白い山肌など、この地方を代表する景観が一望できる。


16:45・ウチヒサル着。
奇岩や谷のあいだを通り抜けて進むと、前方に巨大な岩が見える。表面には窓や出入り口に使う穴が無数にあいている。これがウチヒサル、「尖った砦」と呼ばれる一枚岩の城塞だ。

ついさっきギョレメにも巨大な岩を利用した住居があると書いたが、ギョレメのそれを普通のアパートとすると、ウチヒサルは高層マンションか大手企業本社ビルぐらいの大きさと迫力がある。

だが、こんな大きな城があるにもかかわらず城下はひっそりとしている。土産物屋も7割がたシャッターをおろし、観光客もおらず、まるでゴーストタウンのような様相を呈している。

ウチヒサル ジハンさんによれば、この場所もかつては観光産業でにぎわっていたらしいが、ウチヒサルの頂上からイタリア人があやまって転落死したあと、危険だということで衰退していったらしい。

そんなさびしい風の吹く場所を「センエン(千円)、センエン、シルク、センエン」と言いながらコットンのテーブルクロスを売りつけてくるおばあさんを尻目に、僕らはあとにした。

そういえば、本物のラクダもいた。
ラクダさん

17:15・3人の美人姉妹の谷着。
「3人の美人姉妹」といっても本当に美人な姉妹がいるわけではない。「美人姉妹」とは、この地方で有名な岩の名前である。

美人三人姉妹 どのくらい有名かというと、20YTL札(日本円でいうと2000円ぐらい)に印刷されているぐらい。手持ちの20YTLと見比べてみると、なるほどたしかにこの岩だ。
しかし、ここまで来る道のりでイヤというほどこのテの奇岩を見てきたわけで、特にすごいとは思わなかったのだが。(むしろすごいのはここで吹く冷たい風だ。)

お札の話が出たのでついでに言っておくと、トルコのお札・コインは全種類に救国の英雄、ケマル・アタテュルクの肖像が刷られている。
日本でいえば1万円札から1円玉まですべてに明治天皇だとか大久保利通だとか西郷隆盛の顔がのっているようなものなのだが、それほどまでにトルコ人はケマル・アタテュルクを尊敬している。
調べていないので確信はないが、4000年近い歴史を持つトルコ最大の墓は彼にささげられた「アタテュルク廟」ではないか。


17:20・絨毯屋着。
トルコといえばトルコ絨毯もそこそこ有名である。

次に向かったのは、その自家製トルコ絨毯を買い取り、観光客相手に売ろうという半官半民の施設。中では絨毯の織り子さんたちがカタンコトンと絨毯を織っていたので、いわば問屋制家内工業と工場制手工業を両方やっているわけだ。

絨毯屋に入ってまず出てきたのが、顔はゴツいがヤケに声の高いおじさん。商売道具の日本語もジハンさん並みにうまい。

で、「ワタシタちノ目的は、買っテもらうコト違いまス。お客様ニトルコ絨毯のコト知って頂イて、日本に帰ったラチょっと宣伝してホシいです。」

と、「商売が主目的じゃないよ〜」という趣旨の発言をするものの、商売相手に使う敬称「お客様」を連呼しまくる。

「え〜、お客様、こちらの絨毯ハですネお客様、値段はシルクなのデお客様、チョット高い(数十万〜数百万)のでゴザイマスお客様。しかしお客様、お客様ったらお客様、あそーれヨイヨイお客様。」

誇張もあるが、だいたいこんな感じ。

施設の中はどうなっているかというと、まず最初に見せられるのが絨毯の染料。草木染や藍染、石を砕いて染める方法などもある。また、羊の毛色の明るい部分と暗い部分を利用し、染料を一切使わない絨毯もある。

次はカイコの糸繰り機。さっき羊の毛で絨毯を織ると書いたが、絹でも織る。もちろん絹のほうが高級品で、指が細い20前の女性でなければ織ることができないらしい。

トルコ絨毯 その次が織り場で、僕と年のかわらない女性が絨毯織りの実演をしてくれる。細かい作業は得意なほうだと自分では思っているが、この絨毯の模様の細かさはさすがに無理。
この地方では「きちんと絨毯が織れる=働き者=いい嫁さん」という等式が成り立っている、と説明を受ける。

最後は、覚悟はしていたが販売コーナーである。
トルコ絨毯もピンからキリまであるらしく、値段のほうも10数万〜300万以上と幅が開く。何枚も何枚も開いて見せてくれ、チャイ2杯のサービスもついたのだが、買う気は起こらない。

K親子もかなり売り込まれていたようだが、結局4人とも1枚も買わずにその場を去った。
絨毯屋に入ったときはまだ明るかった空が、もう真っ暗になっていた。


18:50ごろ・ディンラー=ホテル着。
ホテルに到着後、明日の説明を受ける。次の日は今回の旅行中最大の距離を踏破するらしく、距離にして720キロを12時間かけて移動するのだ。聞いただけでも疲れる予定だ。
旅行社のオプションで洞窟ホテルを予約したK親子は別のホテルに移動し、僕たちはここで夕食。

ホテルの夕食はあまりおいしくない。唯一ドネル・ケバブと呼ばれる羊の回転焼肉がまあまあだった。ほかに覚えていることといえば、ウエイターさんがキアヌ・リーヴスに似ていたことぐらい。
夕食でチャイを1杯飲んだので、この日のチャイ消費量はトルコ人に迫る7杯となった。
夕食後、風呂、就寝。





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