アーサー王伝説の起源



欧米において最も有名な英雄の一人であるアーサー王ですが、そのモデルとなった人物についてはいまだ謎が多く、研究者のあいだでもたくさんの説があります。

しかし、おそらくアーサー王のモデルとなった人物が活躍した場所と時代はおおよそ決まっており、だいたい紀元5〜6世紀のブリタニア(現在のイングランドとウェールズ)だと言われています。



その当時のブリタニアは、地中海で並ぶものなき覇権を誇っていたローマ帝国の領土でしたが、相次ぐゲルマン人の侵入によってブリタニアを守る力の無くなったローマ軍の主力部隊が撤退し、少数の兵力とローマ系住民、そして先住民族であるケルト人がブリタニアを狙うアングロ・サクソン人(ゲルマン人の一派)の脅威におびえて暮らしていました。

アーサー王は、この戦乱の時代のブリタニアでアングロ・サクソン人と勇敢に戦った将軍がモデルになっている、というのが現在主流となっている説です。



では、彼は一体どんな人物だったのでしょうか。
まず考えられるのが、ローマ軍の撤退後もブリタニアに残ったローマ系貴族であるという説です。

実際、5世紀ごろの実在のローマ系貴族で、アンブロシウス・アウレリアヌスという人物がサクソン人を撃退したという記録も残っています。
また、少々誇張がありますが、『アーサー』という将軍の戦跡が協会の資料として残っていたりもします。



さて、もう一つ、最近注目を集めている説では、アーサーはローマ軍の主力が撤退した後に残された補助部隊の将軍のような位置づけとなっています。

しかもこの補助部隊、ローマ帝国に徴発されたサルマティア人(現在の南ロシアに住んでいた騎馬民族)だったというのです。

この説の根拠となっているのは、サルマティア人がアーサー王と騎士たちのように重い鎧をつけ、槍で戦ったこと、彼らの神話とアーサー王伝説の類似点、彼らの軍旗が赤いドラゴンや石に刺さった剣だったことなどです。

また、サルマティア人の指導者は代々「アルトリウス」と呼ばれ、これが「アーサー」へと変化したとこの説は主張します。

更に、この『アーサー王=サルマティア人説』を下敷きとして作られた映画が、最近公開された『キング・アーサー』です。
(この映画については別の場所にて)



これらの武勇伝が時代を経るごとに変化し、中世になって吟遊詩人などに語られ、14世紀の作家・トマス=マロリー『アーサー王の死』によってヨーロッパにおける地位を不動のものとしたのです。



戻る