北アメリカ大陸横断の旅(前編)

今回の旅はアメリカ大陸です。
目的地はワシントンDC。
手持ちのアイテム 1:日本からロサンゼルスまでの往復の航空券 (行きと帰りの間には1ヶ月の期間があります。)
手持ちのアイテム 2:グレイハウンドの周遊券。バスは乗り放題です。
その他には金とトラベラーズチェック。


 

3月1日

ハワイ経由でロサンゼルスへ出発。
アメリカは寒波が襲っているとの情報を受け、セーター、ダウンジャケットなどを着込んで中華航空のジャンボジェット機に乗り込む。キャンセル待ちの席だけあって、目の前はただの壁。きゅうくついことこのうえない。
でも、スチュワーデスさんってきれいですね。チャイニーズドレスがなんとも色っぽいです。
今回の旅は学生時代の友人と3人です。

ハワイについた。
なんとなく、ちょっと暑いかなと思った。その時の私たちの格好はさきほど書いたように毛糸のセーターの上にダウンジャケットを着込んでたんです。そのとき、スチュワーデスさんのアナウンスが。

「ただいまのハワイは快晴、気温は32度です」

アメリカ大陸までまだまだ遠いのに、ハワイの空港で2時間も待たされた。 今の時間はハワイ時間で昼の12時。私たちが東京を発ったのは夜の8時だった。限りなく眠いのに、昼の12時。これが時差ぼけっちゅうやつか?
ツアーではないので、入国審査は自分でやらんといけないそうだ。私ははっきりいって、英語がにがてである。が、しかしそこは、アメリカと日本のなかである。日本語で入国審査してるとこがあったので、そこにならんだ。
が、なんと世間は冷たいことか、私の前で、その日本語で手続きしてくれるひとが席をはずしてしまった。次にあらわれたのはアメリカ人っぽいおばさん。
ま、3人で行けばなんとかなるかと思ったら、ひとりづつ来なさいだって。
でも、ガイドブックを見ると目的とか、目的地などを聞かれるだけだから、なんとかなると書いてあったので、「サイトシーイング」「ワシントンディーシー」って言葉だけ頭に入れておいた。しかしそれほどあまくはなかった。
ワシントンにいる人との関係やら、ロサンゼルスからワシントンまでどうやって行くんだとかいろいろと聞かれた。
結局、中国人で日本語と英語ができる人がいて、通訳にはいってもらってかたがついた。(あ〜はずかしい)
(でも、これでなんとなくこれからワシントンまでの旅が大変なものになるかもしれないと、、、、)
とかなんとか言っても、結局ロサンゼルスについた。
ロサンゼルスは夜だった。空から見ると限りなくえんえんと街の明かりがつづく。さすがにアメリカだと感動した。
が、困難はこれからだ。どこにもホテルの予約はしていない。英語の得意な友人をこれほどたよりがいがあると思ったことはない。
ダウンタウンにあるホテルに電話で予約をいれると、いざタクシーにのってダウンダウンへ。
ま、とりあえず、一日目はなんとかクリアーしたってわけだ。
でも、今の日付と時間を見ると、なんと東京を出る同じ日の2時間前である。日付変更線を超えたわけだから当然といえば当然だけれども、なんかタイムスリップしたみたいだ。
ホテルについて、3人部屋があるかと聞くと、2人部屋にエキストラベッドをいれてやるといわれた。いくらか聞くと、「ファイン」という。(そう聞こえた)???
どうも、南部なまりで「ファイブ」と言っているらしい。

3月2日

まずははらごしらえ。てなわけで、ホテルで食事は高いので、街に出て、カフェテリア方式のレストランで朝食することにした。
が、メニューが読めない。??
やはりここらあたりはスペイン語が多いらしい。
しかたがないので、自分の前にいるアメリカ人が何かたのむと、「ミートゥー」って言うことにした。
が、なんと意地の悪い、「ホワッツ?」ときた。しかたないので、「ジス」と「ザッツ」で済ませた。
街をぶらついて、近くのスーパーみたいな店にはいった。
いきなり強盗みたいなのが現れたと思いきや、そのすぐ後ろから警官が乱入した。
いきなりの「ホールドアップ」である。アメリカって恐いっすね。
とりあえず、せっかくロサンゼルスに来たんだから、どこか行こうということになり、ハリウッドへ行くことにした。
行ったところといえば、ガイドブックに載ってる有名所だから、別段それほど面白くもない。
しかし、アメリカっちゅうところはやたらとワックスミュージアムが好きらしいということがわかった。しかし、気色悪いもんだ。
ユニバーサルスタジオの横の路で変なおじさんにあった。なにやら話し掛けてくる。
どうも、カメラで、自分を撮れって言ってるようだ。
その男は私にカメラを渡すや否や50メートルくらい走っていって、ふりむき、こちらへ、意気揚々と歩いてくる。そうか、今写せってわけか。
せっかくロサンゼルスまで行きながら、「ディズニーランド」へ行かなかったのはどうしてだろう。
とにかく3人で話し合い、はやく大陸を横断することにした。
いざ、東へ!

3月3日

ってなわけで、いちおう東へ進み、グレイハウンドのバスに乗ってフラッグスタッフという街についた。
目の前に開けたのはあの有名な「グランドキャニオン」である。あまりにも雄大すぎて、実在感がない。というか、私はこれほど雄大な景色を見たことがない。なんといって表現したらいいかわからない。
雪が積もっていた。
すぐ下に原っぱが見えた。今、昼の11時だから、昼飯を食うまで1時間もあるから、ちょっとそこの原っぱまで降りてみようということになった。(これがそもそも間違いの始まりだった)
行っても行ってもすぐ目の前にある(と思っていた)原っぱにつかない。原っぱが逃げていく。
途中、ロバ(ラバ?)の背に荷物を載せて歩いている人たちになんどもあった。(そういえば、昔、大峡谷ってクラシックを聴いたことがあるなあと思い出した)
やはりこういうところでは日本もアメリカも同じようだ。すれ違うときに、挨拶をしていく。「イッツ ファイン ツー ダアイ」
???何々、だれか死ぬんだって?
ん〜、どうもオーストラリアなまりらしい。
結局、下に付いたときには2時を過ぎていた。原っぱと思ったのは、森であった。周りがあまりに雄大なため、近くに見えたのだが、実に標高差1500メートルあった。上までもどったら、すでに夕方だった。腹減った。途中、死んでもいいので、もう横になりたいとなんど思ったことか。
そもそも上は雪が積もっているのに下へ降りたら、サボテンが咲く灼熱である。 インディアンの暮らしもちょっとは見ることができた。
このグランドキャニオンを横断してみたいと思ったのはこの旅から戻ってからのことである。

3月4日

フェニックスという街につく。
バスから見る景色は「吹雪」だった。
この街になにかあったっけ。
おかしい、到着時間が1時間もずれてる。って思ったら、時間帯が変わったらしい。ん〜、大陸だあ。

3月5日

エルパソに着く。テキサスを感じる。
タコスを食べたが、味はよくわからなかった。少なくともおいしいとは思わなかったと思う。
なんか、われわれは本当にワシントンに向かっているんだろうか。
せっかくだから、メキシコに渡ってみることにした。目の前の橋をこえればそこはメキシコ。
何セントだったか忘れたけど、(5セントくらいだったかな)金さえ払えば、メキシコにはいれた。パスポートは1度も出した覚えはない。
やたらと、店の人が話し掛けてくる。「ともだち、ともだち、これ、ノット高いよ」どうやら安いということばをしらないらしい。
でも、われわれを日本人と見てくれたようだね。
レストランで腹ごしらえをしようとはいる。なんと、どれを食べても「激辛っ!」
口の中の火を消そうと、「あんこ」のようなものを口に入れた。しかし、やはり「激辛っ!」
やはりビールしかないとビールを頼んだ。ん?メキシコのビールってなんでこんなに砂がついてるの?(メキシコのみなさん、ごめんなさい。きっとこの店だけの話しだよね)
リアカーのようなもので綿菓子を売ってるおじさんがいた。「エクスキューズミー」やはり通じない。
みかんを買った。すごく甘い。
そろそろアメリカへ戻ろうとしたら、いれてくれない!
「みかん」が原因らしい。ようするに、外国から(この場合、メキシコ)動植物を持ち込んではならんってわけだ。たったみかん20個くらいなのに。
で、捨てるか、ここで全て食えばアメリカに入れてやると言われた。 捨てるのももったいないので、3人で食ったんですよ。 入国管理官がまわりでゲラゲラ笑ってたがおかまいなしに(しかたなく)食った。 いったい、われわれはアメリカまで来て何をやってるんだろう。

3月6日

半月以内にはワシントンに着きたい。
で、関係ないけど、コインランドリーにいって、洗濯をした。
でも、たまに「地球の歩き方」なんて本を持って歩き回ってる日本人をみかける。
オクラホマへ行こうとバスディーポで「オクラホマ プリーズ」と言っても通じない。?
で、他のアメリカ人のしゃべるのを聞いていたら、「オ」と「ホ」が高い音で、アクセントがあるようであった。まねしたら、通じた。

3月7日

オクラホマに着いたはいいが、今日はなんと「日曜日」。
どの店も休みである。これはうかつだった。日本と同じ感覚ではいけないのだ。 めしはどうするんだあ?
でも、さすがにファーストフード店だけはやってた。一安心。でも、そろそろファーストフードは飽きたよう。

3月8日

東西をわける「セントルイス」へ行こう。

3月9日

セントルイスへ着いた。ここには西へのゲートウェイアーチがある。高いアーチ型のモニュメントだ。
ゴンドラのようなエレベータに乗って上に登ると、街とミシシッピー河がよく見える。
ミシシッピー河の岸でしばし休憩。
後ろを貨物が通っている。その貨物列車の長いこと。われわれは貨物列車が通り過ぎるまでのおよそ20分、河岸から戻れなかった。いいかげんにしてほしい。
 

3月10日

いよいよ、東側へはいった。シカゴへ向かって出発である。

3月11日

シカゴへは夜ついた。しかし、どうもバスをへんなところで降りてしまったらしい。何分も歩き回ったが、ホテルらしいものがみつからない。
しかたなく、労務者風のひとに聞く。すぐ近くにある「エジソンホテル」というのを教えてくれた。われわれはこれから恐怖の体験が待ち受けているとも知らずに喜び勇んでホテルへ入っていった。
ホテルへ入る前に、なんとなくいやな予感はしたんだ。なんでこんなにぼろやしきなんだ。?
はいってまた、びつくり。暗くて中はよくわからない。
カウンタに出てきたおじいさんは1度もこちらに顔をあげなかった。号室を聞いて、鍵を受け取り、2階へあがろうとした。階段は朽ちかかっている。てすりもところどころなくなっている。
すぐにでも、逃げ出したいくらいだ。
2階にあがったが、言われた部屋がない。
カウンタに戻って聞いたところ、廊下の1番奥に鉄の扉があり、さらにその奥らしい。
 

北アメリカ大陸横断の旅(後編)につづく